
外径約1mmほどの小さい小さいヴェネチアンビーズ、コンテリエビーズ
こんなに小さいビーズを一つ一つ手作業でカットしていたなんて… 眺めるほどに不揃いな色や形にも愛着がわいてきます。

イタリアのムラーノ島ではもともと世界的なガラス工芸の伝統があったのですが19世紀末になると小さな工房がたくさん乱立して経営が不安定に。
そこで1898年に16の工房が協同組合のような形で統合し、「Società Veneziana Conterie(ソチエタ・ヴェネツィアーナ・コンテリエ)」という協同組合が生まれました。
それぞれが独自の技を持つ職人たちが、手を取り合ってビーズづくりの伝統を支えたということになりますね
この設立当時の状況もタイムマシーンがあったら行ってみたいところです!
しかも当時使われたガラス棒(カンナ)は組合設立以前に作られたものも少なくなかったそうです。
ムラーノ島最大規模だったこのSocietà Veneziana Conterieから、アフリカをはじめアメリカ、インド、アジアと世界中に輸出されてビーズづくりは全盛期でした。
その中でもコンテリエビーズのような極小サイズは特に熟練職人の勘と技が必要で製造が難しかったため、Società Veneziana Conterie製の中でもかなり希少性が高いとされていますが、全盛期のころにはその極小ビーズを高速で糸に通す専門職の「インピラレッサ」と呼ばれる女性たちがいました。
母娘・祖母…と家族ぐるみで受け継がれることも多く、工場で作られたビーズを通す仕事として大規模に行われていたそうです。
けれど、20世紀に入ると時代の波が変わっていきました。
戦争や経済の変化、大量生産の時代の到来…。
ヴェネツィアの手仕事は次第に影をひそめ、最終的に1992年にコンテリエ社は閉鎖。これをもってヴェネチアの伝統的なビーズづくりは事実上終わりを迎え、それに伴いインピラレッサの仕事自体もなくなっていき2000年代にはほんの数人だけになってしまったそうです。
そしてその空いた市場を引き継ぐように、より効率的な製造ができるチェコのヤブロネツ地方(Jablonec)へと、世界のシードビーズ生産の中心は移っていくことになります。
もし当時インピラレッサの家で育っていたらきっと夢中になって手伝っていただろうなって思います。
もっともっと!ってせがんだりして(笑)
糸に通った状態のままのコンテリエビーズを入手することはなかなか難しいのですが、今ではほとんど歴史の中の存在となっているインピラレッサたちの仕事が世界のどこかに残っていると思うと胸が熱くなります。
1898年から1992年までのおよそ100年間輝いていたSocietà Veneziana Conterieのガラスビーズ
歴史の重みを受け取りつつ、できるだけ長くご紹介できるといいなと思っています。


























































